RI2700地区・地区史ノートVol.04「ロータリー創立60周年と西日本地区」

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■ロータリー創立60周年と西日本地区

1965年(昭和40)、ロータリーは創立60年を迎えました。日本では、60年といえば『還暦』ですから、東日本の6地区、西日本の5地区は、それぞれ連合年次大会を開催して、盛大なお祝いをしました。

東日本では、10月11,12の日の2日間、東京代々木競技場で、出席人員8,283名という記録的多数の会員の参加を得て開催され、皇太子殿下のご出席を仰ぎ、ライシャワー米大使の祝辞を頂きました。また、西日本では、同じく10月22日、京都祇園の歌舞練場での前夜懇談会に始まり、翌23日は、西京極スポーツ・センターで会員7,626名の登録を得て、盛大な会合が開かれました。当日は、『国土を緑と花で美しくする運動』が、大会決議として採択されました。
今日の環境保全運動のさきがけと云ってもよいでしょう。環境問題に関する京都議定書が生まれたのも、同じ京都です。日本のロータリーは、世界に先駆けて、京都で環境問題を取り挙げたと云う訳です。

ロータリー創立60周年を迎えた翌年の1966年、RI会長のテーマ『ロータリーでよりよい世界を』に応えて、第370地区では、米国の第717, 第719, 第721の各地区と協力して、フィリッピンの農村復旧活動を支援しました。 これが、日本からの最初の世界社会奉仕です。 ロータリーはこれまで、国際親善を奉仕活動の主な柱の一つにして来ましたが、エバンスRI会長のこのテーマは、『よりよい世界―better world』という言葉に象徴されているように、全世界の繁をターゲットにした最初のものです。 やがて、生活環境の保護や、世界人類はひとつ、世界平和などという言葉が、RI会長テーマのなかに取り上げられるようになりますが、これはロータリーの歴史にとって、大へん重要なことです。 ロータリーは『職業奉仕の団体』から『国際奉仕の団体』へと変貌するのですが、その萌芽はすでにこのろからあったのでしょう。

1967年、東ケ崎 潔(東京RC)がRI会長エレクトに指名されました。 国内では、ロータリー記念米山奨学会が財団法人となり、また、1970年開催予定のEXPO’70のための万国博ロータリー組織委員会が設立されました。 沖縄で初めて第358地区の地区大会が開かれたのも、この年です。

1960年代から1980年代にかけては、戦後におけるロータリーの歴史のなかで、増強、拡大のもっとも盛んな時期だったといってもよいでしょう。 現在の第2700地区59クラブのうち、1960年から1980年の20年間に35クラブが創立されています。 地区内クラブの60パーセントは、この時期に誕生したことになります。 ロータリーの発展とともに、その組織は次第に複雑化し、地区では地区ガバナーの負担が次第に重くなって来ました。 1969年、地区ガバナーの負担を軽減するために、地区に地区幹事、地区会計長を設けることになりました。

この当時、地区のテリトリーは現在より広く、地区ガバナーのクラブ公式訪問には、大へんな時間と労力を必要としました。 例えば、田中丸善三郎パスト・ガバナーなどは、マイクロ・バスのなかにベッドを持ち込んで、車の中で休息をとりながら、公式訪問を続けたそうです。 その頃から1980年頃まで、RIから送られてくる文書類は全て英文、また、地区ガバナーからRIへの報告書も全て英文で書かなければなりませんので、ガバナーは苦労しました。 地区幹事のなかに英語に堪能な会員を加えなければならなかったそうです。 地区幹事や地区会計長が専任になったのも、こういった背景があったからです。

1960年代になると、RI会長の福岡訪問が多くなりました。 1962年11月10日ラハリーRI会長来福、福岡市天神ビルでIM開催。 1967年3月9日エバンスRI会長夫妻来福、福岡市明治生命ホールで第370地区歓迎IM開催。1969年3月19日東ケ崎RI会長夫妻来福、福岡市私鉄グランド・ホテルで歓迎IM.開催。1979年には、3月にレヌフRI会長夫妻が、また10月にはポーマーRI会長夫妻が来福しました。 また同じ1979年には、1月27,28日の2日間、福岡市ホテル・ニュー・オオタニにおいて、九州では初のロータリー研究会が開催され、320名のガバナー、パスト・ガバナー、ガバナー・ノミニー が集まりました。

創立以来二度の世界大戦を経て、国際ロータリーは、発展の一途を辿ってきましたが、RIほどの大きな、しかも世界的規模の団体になりますと、毎年のように変更しなければならない問題や、決定を要する大きな事項が出てきます。 それらの問題を、ロータリーという一つの組織のなかに組み込むべきか、除外すべきかを決定しなければなりません。 そこで生まれたのが『国際ロータリー組織及び手続委員会』です。

20世紀の終わりから21世紀にかけて、ロータリーはコペルニクス的転換を行おうとしています。 それには、激しい賛否両論が寄せられています。 それについての議論は、後に譲りますが、新しい世代を抱え込もうとしているロータリーは、それなりに新しい時代に適応できる組織を持たなければならないでしょう。 但し、最近のロータリーを見ていますと、組織そのものが余りにも複雑硬直化しているように思われます。ハロルド・トーマスは『私は、常にロータリーを単純に保つ主張に組してきた。 もしもロータリーを単純に保とうとするならば、技術や、技法や、構造はすべてこの目標を念頭に置いて設計されなければならない。 また、随時点検が必要である。』と云っています。 1960年代の言葉ですが、これを読みますと、いまから40年もまえから、ロータリーの動脈硬化はすでに始まっているのかも知れません。
(菅 正 明)

> 1960~1980年ころの日本

※本文は菅 正明PGによりまして戸畑東RCのホームページに掲載されましたものを許可を得て地区ページに転載しております。

これをお読み頂いた会員の皆さんは、これを契機に、地区の流れに興味を持っていただきたいと思います。 そして、出来れば、あの時はこうだったと、過去の出来事を思い出して下さい。
会員の皆さんのご記憶や、保存資料がございましたら、どんなものでも結構ですから、『地区ガバナー事務所』 か、『戸畑東ロータリー・クラブ』事務局まで資料をお寄せ下さい。