RI2700地区・地区史ノートVol.09「会員増強と拡大のながれ -(a)-」

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■会員増強と拡大のながれ -(a)-

この前、地区史ノート第5回でプラザ合意のことを書きました。プラザ合意が成立したのは1985年ですが、その後も日米間の貿易不均衡は一向に是正されませんでした。 それどころか、その間に円高ドル安の恩恵を受けて、日本の企業がアメリカ買いに狂奔することになったのです。 そのような、云うなれば嵐の前の静けさが続いている時期に、福岡県を主テリトリーとする第2700地区は分離独立して、今日を迎える訳です。嵐が来るのを予測した人がいたかも知れませんが、そんな未来のことは分からないまま、夢を抱いて船出したようなもので、この20年間というのは、ロータリーにとっては予測しなかった苦難の道だったと云っても差し支えないでしょう。 ですから、会員増強や拡大の流れを辿るにしましても、その間の世界の流れや国内の動きを無視しては、出来ないことです。 今回は、1980年代の中頃から20年間の国内、国外、さらにロータリーの動きを概観しておきましょう。

先ほど述べましたように、1980年代に入ると、日米間の貿易摩擦、さらにはヨーロッパでの貿易摩擦も拡大しました。これは、例えば日本における低公害燃費節約車の成功が日本の輸出拡大の一因になったように、国内では、素材型産業から自動車、電気、精密機械などの新技術産業や第三次産業への転換の時期でもありました。この結果、1985年には日本は最大の貿易黒字国になりました。 RIやR財団の主なプロジエクトの原型は殆どといってもよいほど1980年までに出来上がっています。 RIがポリオ免疫プロジエクトを提唱したのは1982年、丁度第2700地区が発足した年です。 ポリオ・プラスについては、R財団のところで書きますが、1985年にポリオ・プラス・プログラムが発表され、1992年に大きな成果を挙げてこのキャンペーンは一応1992年に終了、その後もロータリー創立100周年に当たる2005年までは、引き続いて活動することになっています。 国内では、1983年は戦後政治の総決算と謳われた時代でもあります。 中曽根首相が韓国を訪問して、日韓新時代にはいったともいわれました。

1983年にはR財団が、米国の非営利団体として認められ、財団の活動がこれまで以上に活発になりました。 この年、日本のロータリーは、社会奉仕に関する決議23―34条、いわゆるセントルイス宣言についてRIに申し入れを行いました。 セントルイス宣言は、翌年の1984年に一時ロータリー手続要覧から削除されましたが、日本のロータリーの努力が実って、1986年には再び復活し、『社会奉仕に関する1923年の声明』として社会奉仕に関する項目の初めに掲載されています。

世界のロータリー・クラブ会員の数が、この年100万人を突破しました。ポリオ・プラス・プログラムが発表された1985年には、R財団の3Hプログラムが生まれ、日本国内では米山奨学生の学友会がこの年から発足しました。

鈴木内閣の時代、1981年に発足した臨時行政調査会では、行政改革はほとんど進みませんでしたが、1985年電電公社がNTTに、専売公社が日本タバコに民営化され、後1987年国鉄の民営化が決まり、全国が7社に分割され、いまのJRが発足しました。 この年、米連邦最高裁の男女差別違憲判決により、RIはロータリーへの女性の入会を認めることになりました。 女性会員については、日本国内のロータリー・クラブでも根強い反対がありましたけれども、それも一時的なもので会員増強の点からも、殆どのクラブでは歓迎されています。 最近でも、ときに女性会員をどう考えるかというような質問に出会うこともありますが、女性会員を入会させるかどうかと云うような問題を議論する時代は、もうすでに過ぎているので、現在では、男女に関係なく良い会員を求めるというのが、時代の趨勢です。 1987年のニューヨーク株価大暴落、いわゆるブラック・マンデーについては、まだ皆さんのご記憶に残っているでしょう。 このころの日本国内では、株価と地価が急騰しました。 RIはこの1987年に文盲追放10ケ年計画目標を設定、これが後に1997年キンロスRI会長年度に識字率向上運動と、それを推進するための識字率向上月間となって、実現しました
1989年1月7日朝、昭和天皇が崩御されました。 皇太子明仁親王が即位、元号は平成と改められて、64年の昭和の時代は終わりました。 この年は、ベルリンの壁が撤去され、ブッシュとゴルバチョフ両首脳会談が開かれ、東西冷戦の終結が宣言されました。 国内では、4月から消費税が実施され、この年末株価は3万9千円に迫る市場最高値を示しました。 ロータリーでは共産圏にロータリー・クラブが次々に創立、1990年にはモスクワにロータリー・クラブが誕生しました。 ソ連は、翌1991年ゴルバチョフが大統領を辞任し、かくして12月ソ連邦は消滅したのです。
冷戦時代、世界は自由主義国、共産圏、それに第三世界の3つに分かれていましたが、ソ連崩壊後、世界は超大国アメリカと、中小の先進国、さらに多くの所謂途上国の間で、将来も解決されることの困難な問題を抱えて、21世紀を迎えています。 このなかで、RIはどんな道を進んで行くのでしょうか
1995年1月、阪神淡路大震災が起こり、国内外のロータリアンから多くの援助が寄せられました。 RIでは、1947年に制定された大学院過程奨学金制度を拡大して、1995年からロータリー国際親善奨学金制度を設け現在に至っています。 R財団に冠名奨学金制度が作られたのもこの年からです。 1996年には、『青少年奉仕』という言葉が『新世代のためのロータリー・プログラム』と改められました。 これは、20世紀末から新しい世紀に向かって、ロータリーの若者への取り組み方を示す、大変画期的な意義ある提言として、高く評価されるべきでしょう。 世界のロータリーは、年とともに拡大と増強を続けてきましたけれども、その内容は、第2700地区が分離した20年前とかなり違っています。 特に目立つのは、いわゆる途上国でのロータリー・クラブは増加し、会員数も多くなっているにもかかわらず、先進国では現状維持か、むしろ減少傾向にあるということです。 これと関連して、R財団の同額補助金がこの10年間で約7倍増え、教育的プログラムは、その金額は増加しているものの、R財団全体の支出金額の中で占める割合は、減少しているということに注目して頂きたいと思います。
1997年になると、北海道拓殖銀行の破綻、山一證券の自主廃業、翌1998年には日本長期信用銀行の破綻と、経済の失速は止まるところを知らずという状態が続いています。 2001年、政府は戦後初のデフレの到来を認めざるを得ませんでした。 その年9月、米国同時多発テロが起こり、日本の株価は急落しましたが、この急落もたまたまテロと株価の急落が一致しただけだのことでしょう。 これからの世界はどうなるのでしょうか。 同時多発テロから1年経ったニューヨークで、証券取引所の会員権の値段がバブル時の値段より高くなっているそうです。 こんなことが、将来を見通すのには、一番確実な指標になるのかも知れません

この文章を書いているのは、2002年9月3日です。 ホーム・ページで皆さんに読んで頂けるのは、多分来年の4月ころでしょう。その頃の、世界、日本、そしてロータリーはどうなっているでしょうか。
(菅 正 明)

> 会員増強と拡大のながれ-(b)-

※本文は菅 正明PGによりまして戸畑東RCのホームページに掲載されましたものを許可を得て地区ページに転載しております。

これをお読み頂いた会員の皆さんは、これを契機に、地区の流れに興味を持っていただきたいと思います。 そして、出来れば、あの時はこうだったと、過去の出来事を思い出して下さい。
会員の皆さんのご記憶や、保存資料がございましたら、どんなものでも結構ですから、『地区ガバナー事務所』 か、『戸畑東ロータリー・クラブ』事務局まで資料をお寄せ下さい。