RI2700地区・地区史ノートVol.20「地区の主な出来事 -(イ)」

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■地区の主な出来事 -(イ)

現在の第2700地区が分離独立して以来、これまで20年間の主な出来事を5つ挙げて見ますと、
① 固定ガバナー事務所の設立
② 新ロータリー・クラブの創立
③ 女性会員の誕生
④ 分区再編成
⑤ 地区リーダーシップ・プランの採用
と云うことになりましょうか。

固定ガバナー事務所設立の経緯については、既に書きましたので、
ここでは触れません。 ガバナー事務所のことを書くとなると、どうしても云っておかなければならないのは、梶原景親会員(福岡西RC)のことです。梶原さんは、1987年(昭和62年)7月から2002年(平成14年)5月に退任するまでの15年間、ガバナー事務所の事務局長を勤めました。 福岡西RCの会員で、ロータリーについては一家の言を持っておられたし、著書も何冊かありました。 地区の運営につても、大へん厳しい考えを持った人でしたが、事務局長としての役割については、実に厳しい方で、地区運営についてどうしたらいいかと云うような問題に関しても、こちらから尋ねない限り、自分からは決して口出しはしませんでした。 その点は、事務局長としての自らの職責を、十分に心得ていた方でした。 退任の1年ほど前から、『ロータリー100年の歩み』というロータリー回顧録を執筆しました。梶原さんしかご存知ない第2700地区のエピソードなどを書いて貰いたかったのですが、梶原さんとしては、日本全体のロータリーの流れを書くことなしには、地区のことに触れることは出来なかったのでしょう。 続編を期待していたのですが、体調をくずされて入院、終にこの論文が絶筆となりました。 『ロータリー100年の歩み』は、高本精之年度の2002―’03年度ガバナー月信のNo.2に特集号として掲載してありますから、是非ともお読み下さい。 執筆の経緯につきましては、後書欄に書いておきました。

地区が分割されて2つに分かれますと、第270地区のクラブ数は少なくなるのは当然のことで、地区拡大カウンセラーの樋口謙太郎PGは、熱心に拡大に取り組みました。 1982―’83年度になって、クラブ拡大は福岡でと云う要望がつよかったのですが、福岡市内10クラブの会長・幹事会では拡大について左程熱心ではありませんでした。 しかしながら、是非福岡に新クラブの創設をとの、中牟田喜一郎ガバナーの強い要望を受けて、平野桂樹地区拡大委員長を特別代表とした『行動力のある、コストのかからないクラブを』と云う目標をたてました。 そこで生まれたのが福岡北RCです。 クラブの創立には、新家PGの熱心な協力もありました。 福岡北RCは、スポンサー福岡城西RC、特別代表平野桂樹(福岡城西RC)、創立総会1983年(昭和58年)6月3日、創立会員50名で発足しました。 例会の昼食代を1,000円にするなど、ロータリーに新風を巻き起こすと、地区内各クラブから大いに歓迎されました。

1982年10月18日、行橋RCは創立20周年(会長:櫟正直会員)を迎えました。 創立20周年記念事業の1つとして誕生したのが、行橋みやこRCです。行橋みやこRCは、1983年(昭和58年)4月3日、スポンサー行橋RC,特別代表松尾助太郎(行橋RC)、創立会員27名で発足しました。 行橋RCは、前年度末会員数57名でしたが、行橋みやこRC創立後は一時39名に減少しました。その後、同クラブの努力により50名台を維持しています。行橋RCは、1971年以後、クラブ単独で交換学生事業を継続しており、現在までに29名の留学生を受け入れるなど、創立以来アイデアに富んだ奉仕活動を続けているクラブです。

地区内のクラブ拡大計画については、1984年以後、大牟田、折尾、宗像及び福岡の各地域別に推進することになり、1985年9月に開かれた地区拡大セミナーでは、3クラブの創設を当座の目標としました。 かくして1986年(昭和61年)は新年早々から新クラブ誕生のニュースで賑わいました。 福岡城東RCは、1986年2月1日創立、スポンサー福岡中央RC,特別代表小川治夫(福岡中央RC)、創立会員36名で発足しました。 地区内では、初めての土曜日が例会日のクラブです。スポンサー・クラブから7名が移籍、地区内では54番目のクラブとなりました。
宗像地区にロータリー・クラブをと云う声が起こって1年半になります。 そこで生まれたのが宗像RCです。宗像RCは、1986年(昭和61年)5月7日創立、スポンサー福岡東RC、特別代表葦津嘉之(福岡東RC)、創立会員25名で発足しました。宗像地区は、距離的にはむしろ北九州圏に近いのですが、創立以来20年近く経った現在では、福岡市の通勤圏内と云ってもよいでしょう。 福岡東RCがスポンサーとなって創立したことにも、意味があったと思います。

宗像地区にロータリー・クラブをと云う声が起こって1年半になります。 そこで生まれたのが宗像RCです。宗像RCは、1986年(昭和61年)5月7日創立、スポンサー福岡東RC、特別代表葦津嘉之(福岡東RC)、創立会員25名で発足しました。宗像地区は、距離的にはむしろ北九州圏に近いのですが、創立以来20年近く経った現在では、福岡市の通勤圏内と云ってもよいでしょう。 福岡東RCがスポンサーとなって創立したことにも、意味があったと思います。

歴代ガバナーの宿題の1つは、大牟田地域にロータリー・クラブを創ることでした。 この地域の人口は、当時16万人だったのですから、もう1つクラブをと云うのも当然の要望だったでしょう。然しながら折からのエネルギー革命で、大牟田は不況のどん底で喘いでいました。 なんとか自分の年度中に、新クラブを作りたいと云う 横倉ガバナーの熱意に応えて誕生したのが、大牟田北RCです。
大牟田北RCは、1988年(昭和63年)12月29日創立、スポンサー大牟田RC,特別代表江口建策(大牟田RC)、創立会員29名で発足しました。明けて翌昭和64年1月、昭和天皇が崩御され、元号が平成と替りました。 大牟田北RCは、昭和年代最後に生まれたクラブです。

1985年ころから、久留米と大川との間に新クラブをと云う話がありました。 久留米とテリトリーが同じ地域に、二階建クラブとして生まれたのが、久留米中央RCです。 1990年(平成2年)2月20日創立、スポンサー久留米RC、特別代表川村謙二、創立会員40名、地区第57番目のクラブとして発足しました。

1991年は、湾岸戦争、天安門事件、ソ聯の崩壊と国外では多事な年でした。翌1992年、第2700地区に2つのクラブが誕生しました。小倉中央RCと福岡平成RCです。 何れも、創立会員のなかに女性会員が含まれていると云う、地区にとっては画期的とも云うべきクラブが誕生しました。

小倉中央RCは、1992年(平成4年)3月14日創立、スポンサー小倉RC,特別代表上野正康(小倉RC)、創立会員42名(内女性会員9名)で発足しました。 地区第58番目のクラブです。

福岡平成RCの創立は1992年(平成4年)9月11日、スポンサー福岡RC、特別代表上田宗八郎(福岡RC)、創立会員53名(内女性会員3名)で発足、福岡市内第11番目、地区第59番目のクラブです。

細胞には細胞分裂と云うのがあって、自分の生命を新たにします。クラブもある程度の時間が経つと、若返りのために、分裂が必要ではないでしょうか。 且つてRIは、創立後かなりの年数が経ったクラブに対して、拡大計画があるかどうかについての調査を行ったことがあります。クラブがいつまでの若々しく活動的であるためには、拡大が必要だとの考えに依るものでしょう。 事実クラブが古くなりますと、それなりのマイナス面が出て来ますからね。

クラブは、会員の数が多くなるほど、財政的には運営し易くなります。 財政面からも、増強はクラブの全会員で努力しなければなりませんが、一方では、クラブの財政基盤を安定させるための増強と云うのも問題があると云う会員もあります。然しながら、イイクラブが出来て、いい会員が増えることは、私ども全会員の願いですから、新しいクラブの誕生を心から期待したいと思います。

会員数が100名を超えるようなクラブでは、会場の確保も容易ではありませんし、会員相互の交流なども思うに任せません。 時には、会員が入会してから退会するまで、話したこともなければ、顔を合わせたこともないと云うような、これでは、一体クラブとは何か、と疑問さえ湧いてくるようなこともあります。世界中のロータリー・クラブでは、200―300人はおろか、数百人のクラブもあるのですから、なんとも申しませんが、とにかく何年間も会員数が100人を超えるクラブでは、クラブも地区でも、細胞が分裂を繰り返して生命を維持するように、拡大を視野に入れて検討すべきだと思います。
(菅 正 明)

> 地区の主な出来事(ロ)

※本文は菅 正明PGによりまして戸畑東RCのホームページに掲載されましたものを許可を得て地区ページに転載しております。

これをお読み頂いた会員の皆さんは、これを契機に、地区の流れに興味を持っていただきたいと思います。 そして、出来れば、あの時はこうだったと、過去の出来事を思い出して下さい。
会員の皆さんのご記憶や、保存資料がございましたら、どんなものでも結構ですから、『地区ガバナー事務所』 か、『戸畑東ロータリー・クラブ』事務局まで資料をお寄せ下さい。