RI2700地区・地区史ノートVol.21「地区の主な出来事 -(ロ)」

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■地区の主な出来事 -(ロ)

女性会員の問題を取り上げるためには、どうしてもロータリーの人種差別撤廃について触れておかなければなりません。今から考えると、ロータリーに人種差別があったなどと到底思われませんが、書いておきます。 第270地区が分割される前の年度(スタンレー・E・マキャフリRI会長年度)、1982年6月9日、ダラスで開催された世界大会で、RI理事会提出の『いかなるロータリー・クラブも、人種、肌の色、信条あるいは国籍をもとに会員を制限することを禁止する』と云う立法案を、満場一致で議決しました。 この改正は、その年の7月1日から発効しました。わが第2700地区はまさに、ロータリーの人種差別撤廃の年にスタートしたと云うことです。

米国アラバマ州バーミングハムRCは、1913年に創立した伝統あるクラブですが、既に定款のなかに『会員は白人に限る』と云う項目があり、1982年にその定款を変更する必要はないと、改めてクラブで決議したのです。 これに関して、5月31日付のニューヨーク・タイムスに、ロータリーは人種差別をしているとの記事が掲載されました。RI理事会は、即刻理事会を開催、上記の国際大会での決議となったのです。 この決議は、即日『Rotary Rejects All-White Rule(ロータリーは、白人会員だけに限るという規則を否決)』と云うAP電で報道されました。 RIでは、1922年以降『人種に関する制限はない』との標準RC定款を採用していましたが、それ以前に創立したクラブでは、クラブ定款のなかに、差別条項を否決しないまま残しているところがあり、バーミングハムRCのように、それを再承認したクラブもあったと云う訳です。いまのRIではとても考えられないようなことですが、ロータリーの歴史を辿って見ますと、いいろんなことがあるものです。

女性会員のロータリー・クラブ入会拒否について、米国デユアーテRCがカリフォルニア州控訴院に控訴して、それが違法だとの判決が出たのは、1986年3月17日です。 これより先、カリフルニア州デユアーテRCは、女性を入会させたため、RIから除名処分を受け、この処分を不服として、カリフルニア州第一審裁判所に提訴したのです。 これに対して同裁判所は、RIを支持する判決を下しましたので、デユアーテRCはこれを不服として、同州控訴院に上告しました。 この上告審の判決が、3月17日に出された、女性入会拒否の違法判決です。 RI理事会は、早速州最高裁に控訴院判決の破棄を求める再審請求をしましたが、最高裁はこれを却下、1987年5月4日、米国連邦高等裁判所も女性の入会拒否は違法であるとの判決を支持し、デユアーテRCのRI復帰を命ずる判決を下しました。この結果、RIはRI定款第4条4節によって米連邦最高裁の命令に従うことになり、1989年シンガポールで開かれた規定審議会において、そのことが認められました。 以上が、ロータリーにおける女性会員問題の経過です。

その後第2700地区では、1992年になって初めて、創立会員のなかに女性を含むクラブが誕生したと云う訳です。 それでも中々女性会員を受け入れるクラブは少なく、「私の目の黒いうちは、女性会員は絶対に受け入れません」と云う会長さんがいたりしました。 ごく最近になってからも、『女性会員をどう思うか』と云うようなアンケートに接したことがありますが、もう既にそのような時代ではなく、性別には関係なく、『よい会員を』と云うのが、ロータリーの考えです。

新しく発足した第270地区は、第1分区:京築・門司・小倉・田川の11クラブ、第2分区:門司・小倉を除く北九州市・遠賀・筑豊の12クラブ、第3分区:福岡市とその周辺・鳥栖・壱岐・対馬の14クラブ、第4分区:鳥栖・久留米・筑後地区の8クラブ、第5分区:筑後・大川・大牟田・柳川の6クラブ、の5地区で運営されていました。 この状態がずっと続いたのですが、分区間にクラブ数の違いがありますので、分区の規模を出来るだけ均等にしたほうがよいのではないかとの意見が出て、1995年から分区の編成替えを検討することになりました。 その後、地区内各クラブの一般的な空気として、第1,2,4,5の各分区では、現在のままにしておきたいとの意向が強いので、組み換えは第3分区のみについて行うことになり、実行案が検討されました。
その後、RIの意向として、1分区当り3―7クラブが適当だと云う数字が、手続要覧にも謳われていることから、1つの分区の規模を5―8クラブとした分割案が作られ、種々検討の結果、1998―’99年度より、第1分区:豊前・豊前西・苅田・門司・門司西・田川・行橋・行橋みやこの8クラブ、第2分区:小倉・小倉中央・小倉東・小倉南・小倉西・戸畑・戸畑東・若松・若松中央の9クラブ、第3分区:飯塚・直方・直方中央・遠賀・八幡・八幡中央・八幡南・八幡西の8クラブ、第4分区:大宰府・福岡・福岡平成・福岡東・福岡城南・福岡南・福岡東南・宗像・対馬の9クラブ、第5分区:福岡中央・福岡城西・福岡城東・福岡北・福岡西・博多・壱岐・壱岐中央・前原の9クラブ、第6分区:甘木・久留米・久留米中央・久留米東・久留米北・小郡・鳥栖・浮羽・八女の9クラブ、第7分区:筑後・大川・大川東・大牟田・大牟田北・大牟田南・柳川の7クラブ、の7分区制が発足しました。 その後、第1分区の門司・門司西の両クラブから、第2分区に分区替えして欲しいとの要望書が提出され、同時に小倉区内の全クラブからも、同じ意向の要望書も提出されました。 第1分区でも、この要望ついて、やむをえないだろうとの意向でしたので、門司・門司西の両クラブは第2分区に編入されることになりました。 その結果、第1分区は6クラブ、第2分区は11クラブとなりました。この他にも、2、3新編成についての異議が寄せられましたが、第1、2分区以外には、変更がないまま現在に至っています。

分区再編成の目安として、1分区の規模を5―8クラブとして、再編案がつくられました。 この5―8クラブと云うのは、地区リーダーシップ・プランのなかで『ガバナー補佐1名につき4から8クラブを担当することが推奨される』と謳われていることに拠ります。

地区リーダーシップ・プラン(DLP)は、第2700地区では1997―’98年度(大屋ガバナー)に採用されました。 RIがこの制度を正式に採用するまでの経緯については、煩雑になりますので、ここでは省略します。 採用当時のDLPについての考へ方は、当時の諮問委員会での大屋(当時はG・ノミニー)の発言を読んで頂くとよく分かりますので、ここに引用しておきます。

『配布された資料によれば、ガバナーの業務を補佐する数人を任命して、世界の12地区で実施した。 その効果を検討したところ、大へん有効であったので、日本の地区においても実施しては如何かと云うことである。配布した資料を見て頂くとお分かりだと思うが、ガバナー補佐と云うのは、名称は違っても、当地区で実施している分区代理システムと同じ効果を狙った制度である。日本国内にも、分区代理を設けていない地区が2地区あるようだが、世界中には、分区代理のない地区が沢山ある。 ガバナー・ノミニーの意見としては、日本国内の各地区のように分区代理制度のあるところで、分区代理をガバナー補佐と云う名称に変更しても、あまり意味のないことではないかと云うことであった。 また、ガバナー補佐を設けなくても、RIがどうこうととい云うこともないとのことであった。第2700地区の場合は、分区代理の業務を強化すると云うようなことで、如何かと思っている。 資料を十分に検討して、いずれ機会をみてご意見をお聞きしたい。』

DLPには、分区代理の業務を強化する役割があり、分区を活用して地区の運営を円滑にすると云う意味からは、有効な方法であるが、一方で、各クラブに対するRIの管理強化に繋がるもので、このシステムが将来、ロータリーの望ましい運営と発展に役立つかどうか、慎重に検討すべきである、と云う意見もかなり強硬でした。

地区では先に書きましたように、1997―’98年度にDLPを採用しましたが、第2700地区は、地区のテリトリーの範囲が狭く、クラブ数も適当で、現行の分区体制で何らの問題点もない、DLPを実施すると、ガバナーや分区代理に対する負担が増大する、などの理由で、その翌年度(菅年度)は、DLPを実施しませんでした。 その後、2000―’01年度になって、ガバナー補佐の名称を使用しない地区に対しては補助金を増額しないとの、RIからの通達があり、急遽分区代理をガバナー補佐と呼びかえることになりました。 因みに、『地区リーダーシップ・プラン』は、『1998年版・手続要覧』に初めて掲載され、『2001年版・手続要覧』では数箇所改定が行われて、『全世界で採択』となりました。 その詳しい内容については、別の機会に触れることにします。
(菅  正 明)

> 2000-’01年度以降の地区

※本文は菅 正明PGによりまして戸畑東RCのホームページに掲載されましたものを許可を得て地区ページに転載しております。

これをお読み頂いた会員の皆さんは、これを契機に、地区の流れに興味を持っていただきたいと思います。 そして、出来れば、あの時はこうだったと、過去の出来事を思い出して下さい。
会員の皆さんのご記憶や、保存資料がございましたら、どんなものでも結構ですから、『地区ガバナー事務所』 か、『戸畑東ロータリー・クラブ』事務局まで資料をお寄せ下さい。