RI2700地区・地区史ノートVol.22「2000-'01年度以後の地区」

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2000-’01年度以後の地区

2002年(平成14年)9月から21回に渉って、第2700地区の歩みについて書いた。1981年(昭和56年)6月、第270地区では国際ロータリー創立75年を記念して、『RI創立75年記念誌』が刊行された。その翌年の1982-’83年度、第270地区は、福岡県と佐賀・長崎両県の一部がRI第270地区、佐賀・長崎両県の大部分がRI第274地区の2地区に分離した。このノートはすでに述べたように、第270地区が分離独立した1982年7月から2000年6月までの18年間の資料を纏めたものである。

何年か前、当時まだお元気で、ガバナー事務所の事務局長を務めていた福岡西ロータリー・クラブ所属の梶原景親さんと、第2700地区が分離独立してから以後の、地区の歴史を書いて残しておこうじゃありませんかと云う話をしたことがある。これを書くには、当の梶原さんほど適任者はいない。私は梶原さんに「梶原さんほど適任者はいないのだから、貴方が書いてください。枚数は100枚でも200枚でも、制限なしでいいですよ」と云った。それから半年ほどして、梶原さんから「とても100枚やそこらじゃあ書けませんばい」と云って、原稿を頂いた。2002-’2003年度ガバナー月信の特集『ロータリー100年の歩み』は、それを活字にしたものである。その後、これからいよいよ第2700地区の歴史に入ると云うときに、梶原さんは病に倒れ、事務局長も辞任されて、やがて不帰の人となった。梶原さんは、第2700地区のことを書くにしても、それに先立って、どうしてもロータリー100年の歩みについて触れないではおれなかったに違いない。梶原さんには、そう云った律儀さがあった。梶原さんの後を受け継いで、第2700地区の資料を纏めたのが、このノートである。いずれ地区の歴史でも纏めようかと云うことになったときに、役に立つのではないかと思って集めた資料を、戸畑東RCのホーム・ページに掲載し始めたのが2002年9月であった。それから2年経った訳で、今回はそれ以後の、これまでのノートでは取り上げていなかった2000年(平成12年)から2003年(平成15年)までの、地区の歩みを纏めておく。

懸念されたコンピューター・トラブルは、なにも起こることなく、無事に2000年を迎えた。それから4年経って、いまキー・ボードを叩きながら、この文章を作っている訳だが、この間にロータリーで何が目立って変わったかと云うと、ロータリー情報のIT化と、日本国内では、戦後生まれの所謂団塊の世代が、クラブのリーダーシップを取るようになったことであろう。この間柳川で開かれたPETSでのグループ別会長エレクトの懇談会で、私より二回りくらい若い年代の会長エレクトが、近頃の若い者はエチケットを知らないなどとと云う話をしていた。その発言を聞きながら、私は自分も年を取ったものだなとの思いを深くした。ロータリーも、大きく変わる時代に来ているようだ。どう変わって行くのか、それが楽しみでもある。

2000-’01年度の大島英二地区ガバナーは、国際協議会に出席する途中、フランク D. デブリン2000-’01年度RI会長エレクトの部屋を訪問して、そこに備えてあるIT機器に驚いた。デブリンは、大島G.エレクトの前でインターネットのキーを押して、「いま、ここからボタン1つ押せば、世界中のロータリー・クラブと情報交換ができます」と云った。大島G.エレクトは、ロータリーのIT化がこれからの課題だと云う思いを一番の土産にして、国際協議会から帰った。

ロータリーでのIT導入は、1996年1月に国際ロータリーRIウエブサイトを開設したことに始まる。RIでは、その後2000年1月理事会で情報提供のRI化を決定、5月にRIの年間経費節減を目的ととして、ウエブ・コムニテイー制度を承認した。それを受けて、2000-’01年度に入って、デブリンRI会長のIT化推進となった訳である。その後2001年には、規定審議会においてIT関連の立法案が採択され、2003年にはRI理事会で、ロータリー・ウエブが出版物と同様の存在であることが確認された。この間に、ロータリー・サイバー・クラブが試験的に作られたが、私はこれに言及するつもりはない。
わが国では1998年、ロータリーでのインターネットの利用と普及を目的とした全国ロータリアン・インターネット協議会( JRIC )が発足し、2年後の2000年2月、第2680地区の田中毅パスト・ガバナーの熱心な働きにより、ロータリー日本ウエブ(RJW)が設立された。2003年(平成15年)4月現在、国内34地区のうち殆どの地区にホーム・ページが開設され、全国2,323クラブのうち、ホーム・ページを持っているのは679クラブである。第2700地区では、2004年3月現在までに、59クラブ中電子メールを開設しているのは55クラブ、ホーム・ページ開設は15クラブである。大島年度に続く、2001-’2年度妹尾隆一郎地区ガバナーは、ロータリーIT化の流れを受けて、地区IT委員会を発足させ、今年で3年目を迎えている。

何年かまえまでは、国際協議会の冒頭に発表される次年度RI会長テーマは、一々ファクシミリで各地区やクラブ宛に送信しなければならなかった。ロータリーのIT機器の導入によって、いまでは即刻インターネットで全世界のクラブに送信されるようになった。ロータリーに関するニュースは、何時でもキャッチ出来る。本当に便利になった。然しながら、ITは情報伝達のための手段に過ぎない。重要なのは、メデイアではなくて情報である。如何なる情報(ここではロータリー情報と云ってもよいだろう)を、正確に速く伝えるかである。誤った情報を伝えることは勿論あるべきではないし、不要な情報の伝達も避けなければならない。地区のIT委員会も、IT機器の普及と云う委員会の第1段階の役割は終わったのだから、この辺りで『R情報委員会』にでもメタモルフォーゼするとよいかもしれない。正しいR情報を如何に早く、如何に理解し易く、如何に会員がなじみ易く伝えるか、この3つがこれからあのIT委員会に課せられた役割である。因みに、今全国のクラブで開設されているウエブサイトは、全くと云ってよいほど機能していない。このことについては、何れ機会があったら触れたいと思っている。

2001年(平成13年)は、2月、ハワイ沖で、宇和島水産高校実習船えひめ丸と米国原子力潜水艦との衝突事故、6月、池田市の小学校殺人事件と、暗い悲しい事件が続き、9月11日、米中枢部の同時多発テロと云う世界中を震駭させるような大事件が勃発した。国際ロータリーでは、リチャード・キングRI会長が直ちにウエブ・サイトを通して深い哀悼の意を表し、災害の緊急援助について、世界に呼びかけ、直ちにロータリー義捐活動が開始された。第2700地区からは、総額3,242,689円の義捐金が寄せられ、WCSエリア・コーデイネイターを通して、アメリカ大使館に贈られた。

妹尾隆一郎地区ガバナーの2001-’02年度は、米中枢同時多発テロからアフガニスタン侵攻、イラク空爆、そしてイラク戦争に至る不安定な世界のなかで、国内では初めて狂牛病が発見され、牛肉偽装事件が発覚した。妹尾地区G.は、リチャードD.キングRI会長のテーマ『人類が私たちの仕事』を受けて、『反芻しよう ロータリー綱領を』と、ロータリーの職業奉仕を強く訴えた。

妹尾年度、地区大会のホストを務めた福岡RCより、地区大会の余剰金1,000万円が、青少年育成のための基金として地区に寄贈された。第2700地区は、全国でもインターアクト活動の最も盛んな地区の1つである。妹尾年度、筑豊高校インターアクト・クラブが直方中央RCをスポンサーとして誕生、地区内インターアクト・クラブは32クラブとなった。これは恐らく全地区内最高のクラブ数ではないかと思う。地区内のインターアクト・クラブ数は、北高南低の傾向があるが、県南地区における今後のIACの創設に大いに期待したい。

ローターアクト・クラブの活動は、全国的に低調と云わざるを得ない。地区でも、地区委員、ローターアクターがあれだけ熱心に活動しているにも拘らず、伸び悩んでいるのは、ローターアクト・クラブが日本の社会に適応し難い何かがあるのではないだろうか。RACそのものの構造に問題があるのか、アクターの意識と行動に問題があるのか、検討すべき時期に来ている。まえにも触れたが、大島年度に戸畑RACが解散した。昭和44年10月創立の、地区内最初のRACであった。私には、アクターのスポンサー・クラブに対する依存的体質が最も大きな原因であったように思われる。ローターアクト・クラブにせよインターアクト・クラブにせよ、クラブが発足したからには、それ以後はクラブの独立した運営を考えるべきである。戸畑RACの場合も、創立30年にして依然とスポンサー・クラブに依存していた体質に解散の最大の原因がある。若者のクラブが、スポンサー・クラブとどのような関係を維持していくか、両者にとって今後のもっとも重要な課題である。

妹尾年度のRYLAは、開催場所をそれまでの『北九州玄海青年の家』から『国立夜須高原少年自然の家』に移し、地区委員の新しい構想のもとに、インターアクターやローターアクター、米山奨学生の参加を得て、1泊2日で開催された。ロータリー創立75周年記念事業の1つとして始められたRYLAは、2004年佃年度に開設25周年を迎える。RYLA委員会は、RYLA運営について、毎年いろんな構想を動いているようであるが、将来は例えばローターアクト・クラブとの共催なども視野に入れると良い。

新世代奉仕部門は、その規模から云っても、地区最大の奉仕活動を行っている。2002-’03年高本精之年度の発足後間もない時期、高本地区ガバナーは、大屋地区新世代奉仕委員会カウンセラー等と、麻生渡福岡県知事を訪問した。麻生知事、藤田茂令県議会議長等と、県が推進している青少年アンビシアス運動とロータリーの新世代奉仕の相互協力などについて話合った。

高本年度の地区大会は、北九州市厚生年金会館で開催されたが、感銘深いものであった。折から、RI第4ゾーン訪問の途中来日していた、ビチャイ・ラクタルRI会長の大会出席を得たことは、大会に大きな花を添えることになった。更に、リンA.ハモンドRI会長代理の大会での講演は、参加したロータリアンの心に深い感銘を与えた。A.ハモンドRI会長代理は、米国コロラド州ラブランドRCの会員である。ラブランドは、米国内でももっとも住みよい都市の1つに数えられている。彼の講演は、それ程雄弁ではなかったけれども、成る程こんな会員がいるから、こんなクラブがあるから、アメリカがあるんだと思えるような、心温まるものであった(A.ハモンドRI会長代理の講演は、福岡平成RC大楠正子会員の名訳が、D2700のホーム・ページに掲載されている)。

RIの強い要請があって、大島年度(2000年、平成12年8月)から、それまで使われていた分区代理の名称を、『ガバナー補佐』に変更することになった。もともと地区リーダシップ・プラン(DLP)と云うのは、国際ロータリーの管理強化とR財団活動の徹底とを目的として計画されたものである。第2700地区では、それまでも地区活動はRIの方針に則って十分に行われているとの認識があり、ガバナー業務の煩雑化と地区経費の負担増を必要とするDLPの導入は必要ないとの考えから、その意図は尊重するものの、DLPそのものの実施には踏み切らなかった。

RIがDLP導入に踏み切った理由は、分からないでもない。例を引く。第2700地区は、地区の最長距離(県南の大牟田から県北の門司まで)はせいぜい100kmである。高本年度のA.ハモンドRI会長代理のラブランドRCは、RI第5440地区に所属しているが、この地区は米国のワイオミング、ネブラスカ及びコロラドの3州にまたがっており、南北約1040km。これは直線距離で計ると、日本では福岡から静岡までくらいの距離になる。其のなかに、48のクラブと3300人の会員がいると云うのだから、クラブ数と会員数だけなら、丁度第2700地区と同じくらいの規模である。云い方を変えるなら、西日本地が1つの地区で、そのなかに50クラブあることになる。西日本全体を半年の間に廻らなければならないとなると、なるほど,DLPも必要になってくる。第5440地区は、ロータリー発祥の国である米国の1地区だからまだしもであるが、これが途上国のある1地区であったらどうであろう。熱帯地方の砂漠のなかに広がる街のロータリー・クラブを、半年間に50クラブ公式訪問するとなると、DLPのような組織を作って、それを利用しなければ、とてもじゃないが、地区ガバナーの仕事などやれるものではない。ロータリーについての理解を深めるためにDLPを採用するのは、クラブの存在する地域によっては、必要なことである。DLPが導入されようとした当初、RIの管理強化に対する批判が多かったけれども、ロータリーが世界的組織になり、しかも冷戦終結、ソ連崩壊後、途上国にロータリー・クラブが次々に創立するようになると、DLPのようなシステムが必要になるのは、当然のことである。

図:地区会員の推移

図:地区会員の推移

地区にDLPを導入する際には、以上述べたDLP誕生の経緯を十分に顧慮しておかなければならない。DLPについての最も新しい記述は、手続要覧の2001年版をご覧頂くとお分かりと思うが、ガバナー補佐の責務が明示されている以外は、地区ガバナーの任務内容については、殆ど変わっていない。
第2700地区における、1999-’2000年度以降の会員数の推移を図示する。これは、地区全体の集計であるが、会員数の増減は、クラブによって可なりな差異が見られる。以前にも書いたが、社会的・経済的観点から、大都市部、都市周辺、郡部と分けてみると、其の間にも夫々の特徴がある。会員減少は、決して増強努力の不足によるものではないことを、強調したい。このような困難な時期に、地区の増強委員に指名されたことは、本当にご苦労なことである。

この図をみても明らかなように、この4年間に会員数は10パーセント近く減少している。地区会員数は過去最大4,000人であったから、それからすると15パーセント減である。会員の減少で一番ダメージを受けるのはクラブである。地区には地区会員増強委員会と云うのがあるけれども、時々地区に増強委員会が必要なのかなと思うことがある。『クラブは増強、地区は拡大』に徹したら、もっと効果的ではないかと云う気もする。

地区ガバナー事務所の梶原景親事務局長は、1987年(昭和62)7月以来事務局長として親しまれていたが、2002年(平成14)年5月、高齢に加え体調を崩したことを理由に退任を申し出たので、福岡東南RCの谷喜久男会員がその後を引き継いだ。梶原元事務局長は、福岡西RCの会員でロータリーについての著書もあり、ロータリーについて1つの見識をもっていた。事務局長としての梶原さんは、自分からは決して意見を述べることなく、なにか尋ねると、それに就いては適切なアドバイスをするが、こちらから聞かない限り、自分からは決して口出ししないと云うように、事務局長の役割に徹した人であった。

2001年の規定審議会には、地区から国府敏男PGが出席した。この年の審議会では、会員身分を正会員と名誉会員の2種類にすること、これまでの定款細則に拘らない試験的クラブを作ることなどが採択された。試験クラブは、日本国内からは3クラブが名乗りを上げたが、第2700地区からの応募は無かった。この年9月1日から、国際ロータリー日本サービス・センター( Rotary International  Japan Service Center )は国際ロータリー日本事務局( Rotary International Japan Office )となった。

RIからは、会員増強のための方策として、30~35歳会員の会費を免除したらどうかなどの提案があったが、地区では取り上げられなかった。R財団の財源確保のための分担金の増額、ポリオ・プラスへの寄付などについての地区ガバナーや地区R財団委員会からの強力な働きかけがあり、R財団の財源確保を目的としたロータリーVISAカードの利用の推奨された。また、R財団では、2002年から世界平和奨学金が開始され、日本では国際基督教大学がその研修大学に指定されたが、第2700地区からの応募はなかった。
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地区のR財団活動では、DDFの殆ど全額が国際親善奨学生の派遣に当てられている。派遣学生のうち多くの学生は、出身地が福岡県であるなど、第2700地区と何らかの関係は持っているものの、便宜的に第2700地区に応募する事例や、留学終了後、送り出しクラブに何の連絡もなかったり、地区のオリエンテーションに出席しないなど、財団留学生本来の目的を理解していなないと思われる学生が見受けられる。DDFの使途も多様化してきたのだから、これを教育的プログラムだけに充当することはどうであるか、今後の問題である。今後DDFの地区交付金は60パーセントから50パーセントに減額される。また、今後世界的に人道的プログラムは益々そのウエイトを増すであろう。地区の財団活動も見直しの時期に来ている。

2004年の国際大会は、『2004年RI国際大会 ( 関西 )』として2004年(平成16)5月20日から27日まで8日間、大阪で開催される。世界大会の成功に向けて、『On To Osaka 委員会』が設けられ、地区では2002-’03年度第3グループの原田準一ガバナー補佐が就任した。

大島年度の2001年(平成13年)5月25-26日、第8回国際青少年交換福岡会議が福岡市・キャナルシテイ・グランド・ハイアット福岡で開催された。青少年交換活動は、年間、全国でインバウンド、アウトバウンド夫々300名、合計600名の高校生の留学世話を行っている。交換学生の選考、ホスト・ファミリーの依頼、資金の調達、学生のトラブル処理など、地区委員は、年間を通じて休む暇も無いような厳しい活動を強いられている。毎年1回全国各地回り持ちで開かれているが、本年度の福岡大会では、地区内各クラブの国際奉仕委員長も出席して、成功裏に会議を終えることが出来た。

高本年度の2002年(平成14年)10月12日、九州地区インターアクト合同委員会が福岡市で開催され、インターアクトの九州各地区の状況、年次大会や指導者講習会の在り方、インターアクターと国際交流などに就いて話し合われた。地区世界社会奉仕委員会では、2001-’02年度に計画した『小規模水力発電所建設プロジエクト』が、この年度に終了した。

ロータリーと直接関係はないけれども、2000年(平成12年)11月8日、モーリス・グルドー-モンターニュ駐日フランス大使の出席を得て、元RI理事末永直行PGにフランス国家功労章コマンドール章が授与された。当日は、モウリス・グルドー・モンターニュ駐日フランス大使の出席を得て、盛大な祝賀会が開催された。末永PGは、在福岡フランス名誉領事を永い間お務めになり、また、皆さんご存知の日仏交歓の夕を毎年開催するなど、両国の親善に長年切る尾された業績が、高く評価されての受章である。

地区の輝かしい活動とともに、この3年間各クラブでは多くの会員が逝去された。一々お名前は挙げないけれども、ロータリーアンとして逝去された方々の面影と業績は、何時までも私たちの心に残るであろう。ここには、地区関係の物故会員のお名前を挙げて、併せて心よりご冥福をお祈りする。

新家 忠男 平成10年 2月18日逝去 87才 福岡北RC
本間 四郎 平成12年12月 8日逝去 70才 久留米東RC
今村 一郎 平成13年 1月13日逝去 83才 若松RC
片岸 修二 平成13年12月 8日逝去 65才 八幡南RC
岡野 正実 平成14年10月26日逝去 91才 門司西RC
脇坂 順一 平成15年 3月 5日逝去 89才 久留米RC
妹尾隆一郎 平成15年 8月 1日逝去 81才 福岡東南RC
梶原 景親 平成14年 7月16日逝去 95才 福岡西RC 名誉会員

2002年9月から戸畑東RCのホーム・ページに連載した『第2700地区・地区史ノート』は、これで終了する。前にも書いたが、分離独立して以来の第2700地区史を書くことの出来る人は、亡くなった梶原さん以外にはない。そのことを、今改めて思いながら、この稿を終わる。 (了)
(菅 正 明)

※本文は菅 正明PGによりまして戸畑東RCのホームページに掲載されましたものを許可を得て地区ページに転載しております。

これをお読み頂いた会員の皆さんは、これを契機に、地区の流れに興味を持っていただきたいと思います。 そして、出来れば、あの時はこうだったと、過去の出来事を思い出して下さい。
会員の皆さんのご記憶や、保存資料がございましたら、どんなものでも結構ですから、『地区ガバナー事務所』 か、『戸畑東ロータリー・クラブ』事務局まで資料をお寄せ下さい。